私たちこそがアイナナの「答え」となる景色になれたのなら、それはファン冥利に尽きるだろう

 

2015年9月――ツイッターでたまたま見かけたアイドリッシュセブンの布教ツイートを見てアプリをDLし、文字の如く転がり落ちるようにアイナナにハマってからずっと、ずっとずっと見たかった光景がある。

 

「いつか、7色の光の海に包まれながら、たくさんのアイナナファンと一緒に、彼らの生の歌が聴きたい――」

 

その夢が叶うまでに、なんと2年11か月もかかってしまった。

長いようであっという間だった2年11か月。待ち焦がれた2年11か月。
だが、アイドリッシュセブンが1stライブを行うまでに余分な時間など一切なかったのだと、私は1stライブを通し知ることとなる。

 

 


前置きとして、私は女性向けジャンル、しかもスマートフォン向けアプリゲームというものにハマったことがなかった。

昔から私は、ゲームが大の苦手だ。
マリオカートは逆走すらできず敵の罠にかかりまくり、スマブラは自分の選んだキャラを5秒で見失った。大好きなどうぶつの森で猫のビンタとお喋りをしている時間が一番幸せだったものの、ビンタはいつの間にか私の村を去っていった。

 

アイナナは、ゲーム音痴の私にはいささかハードルが高いコンテンツであった。

・シナリオ読破に必須の『リズム(音)ゲーム』(私は極度にリズム感がない)
・ヒロインの名前を自分好みに変換できる『乙女ゲーム』(プレイヤーの名前はつんく♂にしている)
・シナリオ読破に影響はないものの、ハマれば必須となる『課金』(ガチャ地獄に苦しむ友人を見てきたので、課金はただただ金を吸い取られる恐ろしいものという印象だった)

こうして羅列してみると、当時の私はよくアプリをDLする気になったものだ。顏も名前も知らないファンが打った布教ツイートによっぽど胸を打たれたらしい。


そんな中いざアプリをDLすると、そのシナリオの良さに度肝を抜かれた。

アイナナのシナリオの内容と魅力について述べるとこのブログの目的を見失う気がするので省略するが、とにかく抜群に、手放しでほめちぎりたくなる程シナリオが良い。

 

まず、シナリオ作家の都志見文太先生の日本語表現は唯一無二で、心に響く、胸に残る言葉が山のように出てくる。人間誰しもが感じたことがあるであろう感情を表現する力に特に優れていて、こんなに美しく分かりやすい日本語があるだろうかと、語学を勉強しなおしたくなったファンも少なくないはずだ。

 

肝心のシナリオだが、アイナナは、アイドルの苦悩や葛藤、デビューの難しさ、芸能界に身を置く覚悟と試練、夢の実現、アイドルが描く理想のアイドル像やプロ意識といったテーマが飛び交う、まさにリアルアイドルの世界を描いている。以前プロデューサーが雑誌のインタビューで「アイナナを作るにあたり参考にしたのは三次元のリアルなアイドルたち」であると語っていた。まさに、まさになのである。

 

そして、シナリオ構成。アイナナは、作中に登場する時代だけを描くのではなくキャラクター1人1人の人生設計がびっしりと出来上がっており、その上で『今』が描かれている。キャラクターが育った環境や、もっというと彼らの親の人生までもを辿りたくなるような、ヲタク心を絶妙にくすぐる濃密なストーリー。散りばめられた点と点が知らぬ間に線として結びつき、何気ない設定の一つに隠されていた重大な伏線を解き明かされる快感。シナリオが賢すぎると言ってもいい。

 

表現力、シナリオ、構成、キャラクター――とにかく全てが最高に良くできている。
アイナナを好きな者達にアイナナを好きな理由を問うと、声を揃え「シナリオが良いから」と言うであろう。


みなが絶賛するシナリオの中には、彼らがライブをするシーンがたくさん登場する。

私たちはリズムゲームをプレイすることで彼らのライブを疑似体験するのだが、「人間的でリアルなストーリー」が魅力のコンテンツだからこそ、生で、全身で、彼らの音を浴びたくなる。

私はアイドリッシュセブンリアル世界に存在するアイドルのように応援していたので、CDもバンバンリリースされ曲のストックも増える中ただひたすら画面をタップし画面越しの彼らを眺めるだけの毎日を送っていると、いよいよ本格的に生身の彼らが見たくなってくるのだ。


アイナナを始めてから常に、私の頭の中には「ライブ」という文字があった。

 

じわじわとファンを付け漕ぎつけたアイナナ1周年


満を持してメインキャスト7人が集結したニコニコ生放送で、早くも『アイドリッシュセブン アニメ化決定』が発表された。


アニメ化の文字を見たとき、喜ぶよりも先に「ライブは!?」と口にする自分がいたのをよく覚えている。アニメが作られる、大好きな彼らがアニメーションになるという喜びより、ライブの発表がなかった落胆の方が大きかったように思う。

 

それからいよいよ2周年。
「2周年は日曜日だからライブをやるには最適だし、曲数も揃ったし、今年こそライブがあるはず」
「2周年にライブがあるんだったら、(好きなアーティストのライブ告知次期を参考に)2月中には発表があるはず」
「せめて3月中には発表が欲しい……」
「まぁ、遅い場合は4か月前の発表なんかもあるよね」

など、勝手に妄想を膨らませては1stライブの告知に焦がれ、過ぎていく時間の中で「今年もライブはないのかな……」と肩を落とした。


それでもライブを諦めきれず、2周年を含む前後5日に夏休みを取って万が一に備えたり、ライブのために有休日数を残したりもした。

 

2017年11月、いよいよライブの告知があった時、嬉しさの中に滲む「遅いよ…チケット取れないかも……」という溜息まじりの感情に戸惑いを覚え、チケットが取れない恐怖を払拭するために、フォロワーと共に当選祈願に行ったりもした。

はやくライブに行きたい。はやく彼らの歌が聴きたい。はやく生身の彼らに会いたい。はやくペンライトを振りたい。

 

いざ発表になった1stライブの会場は、チケットが取れないかもという恐怖を一蹴りするキャパシティを誇るメットライフドームだった。

そう、まさかのドームライブ


色々あった。アイナナに対するマイナスな感情ばかり浴びてきた。だから正直埋まらないと思った。3万人以上のファンなんて集まるわけない、そう思った。

 

割愛するが、アイドリッシュセブンは、3年の間になんというかまぁ……色々なことがあった。離れていくファンが続出し、コンテンツが終わるかもしれないと言う恐怖に支配されたのは一周年のあたりだ。

とても悲しくやるせなく、怒りが込み上げ、アイナナが好きという感情が私を苦しめた。私自身がアイナナを嫌いになることは決してなかったが、某アニメショップのアイナナコーナーの前でアイナナへの苦言を、「アイナナの単語聞くだけでも無理~」という言を直接耳にした時は、悲しみに焼き尽くされたように胸の奥が熱くなり、じわりと涙が浮かんだ。

 

アイナナが好きでいるだけなのに犯罪者のように扱われ、匿名アカウントからツイートを晒された。私は急いでアカウントに鍵をかけ、心無い言葉を投げつけてくる外界から身を守った。アイナナが好きという感情が一切削ぎ落ちてしまったかのようなタイムラインを見るに耐え兼ね、とうとうアカウントを消した。アイナナが好きだからこそ、これ以上ない地獄のようだと感じた。

炎上に関する真意や私の見解については、酒の場のみ語ることとしたい。この話は、誰も幸せにならないから

 

そんなこともありジャンルの人気に少々臆病になっていた私は、人気と規模が見合ってないんじゃないか、という言葉も一切否定できなかった。

元々アイナナは規模が小さなジャンルだったし、埋まらない会場をキャストさんに見せるのは嫌だなどと悲観的になり、当落が出ていないにも関わらずライブ当日の心配ばかりしていた。


ただその分行きたい人全員にチケットが行き渡り、昔から応援してきたマネージャーも、アニメから好きになってくれたマネージャーも、なんとなく興味がある人も、チケットが余ってるなら行きたいという人も、熱量はどうであれ行きたい人がみんな行ける、誰も悲しまない――と前向きな気持ちにもなった。

潤沢なキャパシティが生むのは、当選の幸福とステージへの距離なのだ。


(蓋を開けると案外落選が多く、かくいう私も落選した。ライブビューイングに2万人集まったというのだから驚きである)

 

いよいよライブ当日、待ちに待った1stライブ。


まず初めに驚いたのは、運営側の入念な準備と迅速な対応だ。
物販開始時間も、開場時間も大幅に早まった。スケジュールを早めてもなんら問題がないくらい準備が整っているだけでなく「時間を前倒してお客さんの負担を減らそう」という決断を下せるトップがいる。対応できるスタッフ教育ができている。スケジュールに変更が起こったにも関わらず、一切の混乱がなかった。

一社会人として、同じイベント業界に身を置く者として、とても感動、感心した。

 

開場が早まったので、わたしたちもいち早く会場に入り、17:00を待った。
大きく組まれたステージ、どの位置からも見やすいように角度をつけて設計された大型のLEDモニター、みるみる埋まっていく客席。ただただ広い会場を人が埋め尽くす光景は圧巻だった。


会場を飲みこむようなサイリウムの光を目の当たりにし、アイドリッシュセブンを好きなファンはこんなにいるんだと、始まる前から胸がいっぱいだった。

 

17:00を待たずしてファンが一斉に立ち上がり、抑えきれない歓声を上げる。

だんだんと大きくなるBGMが最高の時間の始まりを告げ、ここにいる全員の期待と興奮をかき集めたかのような“あの”鼓動の音が鳴り響き、階段の先――彼ら7人の姿が見えた。

 

その瞬間、いや、もっと前からかもしれない。

私は人の迷惑をこれっぽっちも考えないまま声を震わせて泣いていた。同行者も、前の座席のファンも、斜め前にいたファンも、みなタオルで目もとを抑え肩を震わせて泣いている。
こんなにも広い会場で、こんなにも多くの人たちと「アイナナが好き」という感情を共有している。


この会場には「アイナナが好き」という感情しかなかった。

みなが待ち焦がれた瞬間をアイナナが好きな人たちと共有できていることが嬉しくて、泣いているファンの姿を目で追いながら、分けも分からずさらに泣いた。

 

一曲目のMONSTER GENERATIONのことは泣きすぎて正直よく覚えていないが、大和と壮五のハート芸だけは憶えている。なんだったんだアレは。

 

ライブは終始、アニメーション(MVとアニメ)で見た光景がそのままステージに現れ続けた。カメラワークまで意識されているのか、中央モニターに映し出されるアニメの映像とサイドモニターに映し出されるキャストのパフォーマンスは常にリンクしていた。中でもTRIGGERは圧巻であったし、リスポの演出は涙なしでは見られなかった。

 

このブログ自体が長くなったのでライブの感想はツイッターで振り返ったのみとしレポートは一切省くが、まさか推し(逢坂壮五のキャストさん)が生でピアノ演奏を披露するなんて。
まさか二日ともセトリを変えてくるなんて。
まさかディアバタフライが聴けるなんて。
まさかアニメやMVの再現で挑んでくるなんて。
まさかあんなに演出が豪華だなんて。
まさか4時間も楽しませてくれるなんて。
まさか、あんなに涙が出るなんて――と、ライブは終始“まさか”尽くし。
キャスト、スタッフ、ファン、全員の愛と熱に溢れた素晴らしいライブだった。

 

2日間、計8時間。

あまりにも幸せで、幸せで幸せでたまらなくて、我も忘れて声を上げ続けた。1日目があまりにも楽しかったので急遽TRIGGERのサイリウムを買い足し(潤沢なレジと在庫のおかげで並ばずサクッと買えたのでありがたい)人生初のサイリウム4本持ちを体験した。登場するアイドルごとにサイリウムの色を変え振り続けたせいか初日夜から早速筋肉痛に見舞われたが、それすらも心地よく感じる幸福感に身体も脳も飲みこまれた。


だが、2日目の夜は違った。
ああ、ライブが終わってしまった――2日目の夜は、夢であるライブが幕を閉じた喪失感に支配されていた。

 

強い光に目が眩んだまま、残像を見続けるには限界がある。 

アニメ2期といっても放送までに1年以上はかかるだろう。4部の発表もなかった。次にアイナナが動くのはいつなのだろう。次はいつ彼らに会えるのだろう。
そう思うと夜もなかなか寝付けず、みんなの感想ツイートをひたすら眺めたりキャストさんのツイートを見てひっそりと泣いたりして、今日という素晴らしい日に後ろ髪引かれるように、結局午前3時過ぎまで眠ることができなかった。


翌朝、状況は一変していた。
池袋のあの告知。未来を照らす光、この先を約束してくれる、私たちに向けた力強いメッセージ。
ツイッターで見た瞬間、本当に声を失った。なんだあれは、なんだあれは。そして思った。

「だから私はアイドリッシュセブンが好きなんだ」

 

私はアイナナスタッフの愛溢れる運営が大好きだった。

2015年の11月ごろだったか。『ガルスタ』という雑誌に「アイナナからビッグニュースがある」という(ニュアンスの)意味深なコメントが掲載された。
「ビッグニュースって、もしかしてアニメ化!?」と界隈は沸きあがった。各々妄想を募らせ、なんだなんだとビッグニュースの発表を待ったのだが、そのニュースとは「アイドリッシュセブンが初めて雑誌の表紙を飾るよ!」というものだった。
もちろんおめでとうという気持ちもあったが、ビッグニュースの文字に踊らされ(なんだ…表紙か…)と拍子抜けしたのが正直な気持ちだ。後に下岡Pの書くプロデューサーレターに『初めて雑誌で表紙を飾るので、嬉しくて書いてしまいました』というコメントが載った。私は下岡Pのその言葉にアイドリッシュセブン運営のコンテンツにかける熱意とアイナナを育てていきたいという純粋な思いを感じ、もっともっと応援したいという気持ちがますます強まっていった。

 

CDリリースがあるたび、ツイッターでは「MステのCDシングルランキングに入りました!」だの、深夜にもかかわらず「この後のCDTVに恋のかけらがランクインしてるかもです!」だのとお知らせしてくれた。CDのランキング入りを喜ぶ姿は「もっともっと応援したい」という気持ちを沸き上らせた。

 

2016年のパフェギミカード実装あたりからは度重なるガチャ地獄に疲れ果て、課金にも限界を感じはじめていた。

アイナナの発展のために金を落としたいという気持ちは勿論あったが、ガチャに負けると手元には何も残らない。2015年11月実装のオフの日カードからガチャに惨敗し続け、1部のストーリーをとっくに読み終わっていたこともあり新規ラビチャに飢えていた私は、ガチャの惨敗により「ラビチャが読めずコンテンツから取り残される疎外感」と「続々と届くクレカ請求」に心が打ちのめされ、とうとう運営に「ガチャを回すと溜まるポイント制度のようなものを導入してほしい」とメールをするまでになったのだが、あの時マネージャー達が送った要望は『スカウトポイント制度』としてアプリに導入された。
(2部が始まる前、ガチャ地獄に折り合いがつかずゲームを去るマネージャーが少なからずいたので心苦しかったが、私がアイナナを辞めるという選択肢を持ったのもこの時期だ)

 

私たちの課金が身を結びリスタートポインターのMVが制作された日は、本当に応援していてよかったと心から思ったものだ。

 

運営はいつも、私たちを楽しませようと真剣だった。
インタビューを読むたび、プロデューサーレターが更新されるたび、このコンテンツにかける思いと愛を知った。彼らはいつだってコンテンツに一生懸命だったように思う。それは、ナナライを通しハッキリ伝わったのではないだろうか。


2部、3部、アニメと経て、とうとう行われたライブ。

冒頭にも書いたが、アイドリッシュセブンが1stライブを行うまでに余分な時間など一切なかったのだと、私は1stライブを通し知ることとなった。

 

このライブは、原作(ゲーム)だけでは決して成り立たなかった。
原作があって、MVがあって、いままで展開されたアイドリッシュセブンのプロジェクトが存分に盛り込まれたアニメがあって、始めて成り立ったステージだった。

アニメーションが原作に色をつけた表現はたくさんある。WVの最後、7人が円陣を組み天に指を揃える演出なんかはアニメーションが魅せた表現がそのままライブに輸入されていたし、私たちの涙をこれでもかと誘う演出が繰り広げられたリスタートポインターも然りだ。

 
書きたいことはまだまだ沢山あるのだが、眠くなってきたのでここらへんで締めたいと思う。

 

ライブが終わって4日ほどたつが、アイドリッシュセブンにハマってからというもの、こんなに幸せを感じた夜はなかった。

不安な夜もあった。やるせない思いを抱えたまま眠りについた日もある。アイナナを去っていった者達の理由を聞いて、胸が締め付けられる思いもしてきた。

 

だが、私が愛したアイドリッシュセブンが歩んできた道の「答え」は、40,000人の光の海に包まれたあの会場にあった。
ライブビューイングや、残念ながら会場に来られなかったファンも含め、私たちファンがアイドリッシュセブンに「答えとなる景色」を見せてあげられたのだとしたら、こんなにも嬉しいことはない。

あの瞬間私たちは、アイナナを証明する光となれたのだ。


アイドリッシュセブンが大好きだ――と、ただそれだけを胸に、私は今日もアイナナの楽曲を聴く。

 

下岡Pのプロデューサーレターが待ち遠しい。Pが感じた思いを存分に語り尽くしてほしいものだ。